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かわさきマイスター紹介

アルミニウム表面処理   板垣 龍一さん

宇宙も夢ではない、硬質アルマイト加工の第一人者

提供:川崎市
板垣さんはアルミニウム表面処理の中でも特に超硬質の、鋳造材のアルマイト加工が得意です。加工において厚さや硬度を正確にコントロールするには長年の経験と深い技術的知識の両方が必要となります。また、ジュラルミンのアルマイト加工技術の工業化に初期より携わり、材種による電解方法、治具の工夫、成膜の分析方法など、JIS規格化にいたる基礎技術の確立に尽力してきました。
プロフィール

板垣 龍一(いたがき りゅういち)さん
昭和37年北海道釧路市生まれ。昭和55年9月、電化皮膜工業に入社。アルマイト全般を担当。特に硬質アルマイトが専門。同社のA2000系の硬質アルマイトは、板垣が開発した。
1分でも速く、よい品物を処理することを心がけて仕事をしている。高度熟練技能者。職業訓練指導者。平成18年度マイスター認定。
中原区在住。元電化皮膜工業株式会社勤務。

板垣 龍一さんについて教えてください

始めるきっかけは何でしたか?

この大きな電解槽の中にアルマイト加工をするアルミニウム板を入れ表面処理を施します。
この大きな電解槽の中にアルマイト加工をするアルミニウム板を入れ表面処理を施します。
17歳の頃、高校を中退し、仕事にも就かず毎日、家でブラブラしていたら親から「働きなさい」と怒られました。とにかく東京に行こうと上京。たまたま叔父がこの会社にいたものですから、頼んで入社させてもらいました。昭和55年の秋でした。すぐにアルマイト表面処理の仕事をあてがわれ、それ以来30年間、この道一筋に進んできました。金属表面処理加工もアルマイトも何も知らずに飛び込んだ世界で、会社から言われるままに最初に就いた仕事が生涯続けることになろうとは当時、考えもしませんでした。

やっていて1番面白いと感じることは何ですか?

昨年は当社が初めて参加する大きなイベントの出展準備に携わり、いい経験をしました。11月に開催された「東京国際航空宇宙産業展2009」(東京都主催)に、「AMATERAS(アマテラス)」という企業グループの一員として共同製作による部品サンプルを展示、併せて当社のアルミ表面処理が航空宇宙産業で適用されている国際規格に基づく工程管理を行っていること、及びその技術力をアピールし、航空機部品市場参入への大きな足がかりを得たことです。当社は航空宇宙産業の品質マネジメント規格JISQ9100を取得した、日本では数少ない企業の1つです。
当社が受注する製品は何かの部品であることは見当つきますが、それが具体的に何に使われるかは分かりません。ユーザーの企業秘密です。従って、いわゆる「ものづくり」から得られる“やりがい”そのものを直接肌で感じることは少ないです。オーダーに沿うまま、その部品の皮膜処理をするのが我々の職種であり、仕上がった製品が技術的にユーザーの要望を100%クリアしていることで満足感を味わうと言うことでしょうか。与えられた図面通りにやるということが重要で、そのための技術が我々の“売り”です。

長年、継続して技能研鑽に努めることが出来たのはなぜですか?  (他の道に行こうと思わなかったですか?)

アルマイト処理加工は細かい手作業が求められる仕事です。
アルマイト処理加工は細かい手作業が求められる仕事です。
22歳で結婚しましたが、給料を上げてもらうために資格をどんどん取りました。2級技能士から始め、1級、職業訓練指導員、高度熟練技能者と次々に挑戦しました。うちの会社は資格を取るために助成金を出してくれるのです。ただし受験1回目だけで、合格したら幾ら支給と決められています。資格を取るのは「メシの種」というのが社長の方針で、ほとんどの社員が資格取得の計画を決めています。資格を取るため努力する結果、社員の技能がレベルアップし、会社全体の力も強くなっていくという仕組みです。第一、資格を持っていればどこへ行っても通用します。
入社した頃は、若い社員が少なかったので、あらゆる仕事をやらされました。通常は処理別に担当が決まっていますが、納期が間に合わない部署が出るといつも回されていました。全部の技術を覚えることは難しく、かえっていろいろな部門を経験したことが技術を磨くバネになったのではないかと思います。アルマイト処理の仕事は、手作業の細かい仕事ばかりですが、結果的に仕事の速さ・正確さも、そのお陰で身に付いたのだと思います。

苦労したことはありますか?

当社が受注する仕事は多種多様で、毎日、毎時間、する仕事が異なります。中には形状の難しいものや材質が複雑なものもあって、どう対応すべきか苦しむこともあります。また、他社が扱えない仕事が回ってくることも多く、そのため悩むこともしばしばあります。しかし、もともと負けず嫌いが私の性分ですから、人が100個やれば自分は150個やって見るという具合に、困難を乗り越えてきました。難しい形状の場合、自分で冶具を作ることもあります。

自分が誇れる、自信のある卓越した技能を教えてください

私が専門に手がけている「アルマイト」というのは、アルミニウムの耐食性、耐摩耗性の向上、装飾などを目的に表面に陽極酸化皮膜処理を行う加工技術です。中でも特に超硬質の、鋳造材のアルマイト加工が私の得意分野です。この技術は、私がかわさきマイスターに認定された理由の1つですが、ジュラルミン(A2000系)に硬質アルマイト処理で150ミクロンまで皮膜を付ける特殊技能は今でも私の独断場だと自信を持っています。ジュラルミンは、アルミに添加剤として銅が入っている材料です。普通のアルマイトでは、皮膜を付けられても3ミクロンくらいでしたが、お客様からの要求に応えて研究し、150ミクロンまで皮膜を付けられるようになるまでに5年かかりました。日本には、当社と同じような表面処理をする会社はたくさんありますが、ジュラルミンに150ミクロンまで厚く皮膜を付けられるのはうちだけだと思います。この技術を確立したことで、航空機整備の表面処理加工分野で初の高度熟練技能者に認定されました。

ものづくりについて教えてください

ものづくりの魅力を教えてください。

集中力が求められる手づくり作業の中にこそ、ものづくり本来の面白さと魅力が潜んでいます。
集中力が求められる手づくり作業の中にこそ、ものづくり本来の面白さと魅力が潜んでいます。
朝会社に来て「今日はこれをやろう」と決めたことが、1日を終えて達成できた時、なんとも言えないいい気分になります。できなかった時は残業でやり遂げ、翌日に伸ばすことはしません。ものづくりというのは、1日1日の真剣勝負で、特に当社のアルマイト処理は毎日、毎時間、違うものを作っているという点で、手づくりそのものです。そこに、ものづくり本来の面白さ、魅力があると思います。当社では自動機による仕事はやっていません。あれは技術ではないです。また、ものづくりはセンスや根性、集中力が求められる作業ですから、そうした性向の強いプラモデルやスポーツ好きの人は、アルマイト処理の仕事に向いており、将来きっと伸びると思いますよ。

かわさきマスターに認定されて良かった点を教えてください

マイスターに認定され証書を受ける日、市長室に大勢の報道陣がいてびっくりしました。熟練技能者に認定された時もそうでしたが、うちの子どもたちが「お父さんが、また偉くなった」と尊敬の目で見つめてくれたのがうれしかったですね。職業訓練指導員をしていますが訓練校には表面処理加工に関する課程はないし、表面処理加工という職種自体、これまで高齢者にしか馴染み(就業すること)のなかった仕事ですが、もっと若い人にもこういう職種があるということをマイスター制度を通じて知ってもらいたいですね。

後継者を育成するため、何に取り組まれていらっしゃいますか?

板垣さんは部下の指導に当たって「技術を身に付けるには常にクリエイティブな考えを持たなければならない」という姿勢で臨んでいます。
板垣さんは部下の指導に当たって「技術を身に付けるには常にクリエイティブな考えを持たなければならない」という姿勢で臨んでいます。
技能検定を受ける前の実技指導を、私が担当しています。それも常に「相手の立場になって教える」というのが私のやり方で、ある程度の押しつけはしますが、後はその人の考え、気持ちを尊重するようにしています。決めつけてしまうと相手は、そのことしか考えなくなってしまい、かえって逆効果です。あくまでも自分で考える、考えさせることが大事です。自分の考え(クリエイティブ)を持たないで仕事をすると、技術は絶対に身に付きません。自分で考えて、こうすればうまくいく、こうすれば失敗すると、問題にぶつかって一つひとつ理解していってほしいと思っています。上手に教えるということは、その会社に長い間勤められるということにつながる大事なポイントでもありますから、単に技術を継承する目的だけではなく、将来の会社の命運、社員の人生設計を左右するものだという重い認識で進めなければなりません。幸い当社には若い人の入社が多いし、資格取得への意識も高く、後継者問題ではそれほど心配はしていません。

これから「ものづくり」を目指す方たちへアドバイスをお願いします

どんな人生を送るにしても、人間が勉強できる時間は決まっていますから、できるだけ若いうちに勉強を始めてほしいと思います。高校を中退し、ぶらぶらしていた若い頃の自分自身を振り返ると、つくづくそう思います。東京に出てきた時、特にやりたい仕事もなく、たまたま叔父が勤めていた縁でこの会社に入社したわけですが、当時、叔父から「何をやっても中途半端なのは困る。入ってから3年間は無遅刻・無欠勤をしなさい」と言われ、その通りやり遂げました。不良少年というレッテルを貼られていましたので、それを返上するには、きちんと働いているという姿勢を見てもらうしかない、と自分で決めていたのです。仕事は厳しく、覚えるのがやっとという毎日でしたが、自分の生き方を早めに軌道修正できたのがよかったと今でも思っています。

最後にこれからの活動について教えてください

更に自分を磨き、「現代の名工」を目指したいと語る板垣さん。
更に自分を磨き、「現代の名工」を目指したいと語る板垣さん。
当社には「現代の名工」として黄綬褒章をいただいた東城佶さんという先輩社員がいます。硬質アルマイト処理業界では、現代の名工になったのも黄綬褒章を授章したのも、東城さんが日本で最初の人です。私も東條さんを目標に自分自身を磨き続けながら「現代の名工」を目指したいと思っています。また、後継者を育てることを当面の課題として、電化皮膜工業が日本の技術を伝え続ける“サステナビリティ・カンパニー”となるよう努力していきたいと考えています。

どうもありがとうございました。
部下を指導する際、いつも「相手の気持ちを考えて」と言う板垣さん。教える中身は厳しそうですが若い社員から信頼され、高度熟練技能者として尊敬されています。板垣さんはサッカーの指導員、審判員の資格も持っていますが、座右の銘は「コーチぶらない・親ぶらない・上司ぶらない」だそうです。社内に資格取得意欲が高いのも、指導に当たって、こうした板垣さんの人格が滲み出しているからではないでしょうか。